声なき人の声を聴き続ける

最弱者は理解できるか?

東インドに生まれた哲学者スピヴァクは「披抑圧者は語ることができるか?」という問いを我々に投げかけます。(G.C. スピヴァク著, 上村 忠男 訳、1998

時に我々が向き合う問題の渦中に居る人々は、貧困に苛み、健康を奪われ、最小限の教育すら機会を与えられていないことすらあります。時には、相対的に力を持つ「支援する側」という立場に立つということだけで信頼関係を損ねることすらあり、我々が「支援される側」の声を聞くことが叶うのは、何度も足を運び、関係が築けてからのことになります。

スピヴァクの問いかけは、財団法人を運営する者としても考えさせられる問いかけ、つまり、弱き者を助けるということは、可能なのか?という問いかけでもありました。

訪れ、耳を傾け、対話を始めることから

WIAは日本の課題だけではなく、隣人の課題にも同時に向き合って行きたいと考えています。身近な問題であったとしても、人を助けること、そして、深い理解を行うことはとても難しい。にもかかわらず、異文化における他者を理解することは可能なのか?と。

おそらくは、簡単には「わかり合えない」という前提に立つことの方が大切なのだと思っています。そして、スピヴァクの事を知ったのは恩師からの縁でした。迷い悩んだあげく、大学の恩師に尋ねる機会を頂くことができました。そういえば、「ちょっとづつしか理解できない」という姿勢は大事だよね。と恩師は諭します。WIAは足を運び、耳を傾け、時間をかけることから始めて行きたいと思っています。

そして、我々は声なき人の声を聴くことこそが、次なる変化を可能にするのだと信じています。